SSブログ

坊ちゃん劇場ミュージカル「KANO~1931 甲子園まで2000キロ 」 日台野球交流100年記念 [旅行(国内・海外)]

脚本:羽原大介 演出:錦織一清
ハイレベル、ハイクオリティな公演。東京で公演が行なわれていても遜色ない、
笑いあり、涙ありの公演。
DSCF3956.JPG DSCF3957.JPG
さすが、
日本一忙しい作家、羽原大介氏。これを、4,500円で観劇できる。
朝10:30~12:30まで、休憩を10分を挟んで、「あっ」という間に、終わった。
全然知らない知識がまた増えただけでなく、父が卒業した、「松山商業高校」の話。
かつては宇和島東や新田、今治、西条を凌ぎ、愛媛といえば、私が小、中学生の頃は、
松山商業が甲子園の常連校だった。
1930年代、当時の優勝戦の対戦相手が、強豪、私の育ちの愛知県のチーム、
中京商業高校(現在の中京大学)というところは、なんだか感慨深いものがあった。
DSCF3958.JPG DSCF3959.JPG
DSCF3960.JPG DSCF3961.JPG
サイドストーリーには、報われそうで報われないラブストーリー、
兵藤監督の「鬼」指導。そして、秘密。
家族。
生と死。
武士道精神野球から、笑顔の野球へー。
現地の親たちの無理解との闘い。
当時の日本人とは何者か?を問う。
「生まれて来て良かった!」と、思わせせてやると言う、兵藤監督の言葉。
真の実力に部員たちは付いていく覚悟を決めた。
甲子園という夢舞台。
DSCF3962.JPG DSCF3963.JPG
DSCF3964.JPG DSCF3965.JPG
私も、中学時代は憧れていたな。
センターかライトしかレギュラー枠がなさそうだったので、必死だった。
その両方でレギュラーの座を掴んだ訳だけど、野球という青春は今でも色あせていない。
その後、演劇へシフトしていくのだけどね。
台湾の嘉義農林学校(現・国立嘉義大学)野球部は、日本統治時代の1931年、
近藤兵太郎監督の指揮のもと、甲子園初出場を果たし、奇跡の如く、
快進撃で決勝戦まで駒を進めた。
この大会で嘉義農林と優勝をかけて戦った相手は、愛知県代表の中京商業高校
(現・中京大学)とここまでは、ノンフィクション。
物語では、嘉義農林学校から日本へ渡り、野球を続けた同級生という設定。
感動の再会。
本気の勝負。
観てる側も熱くなる。
フィクションとファンタジーの境界線が
涙を誘う。
DSCF3966.JPG


ヒロインを演じる、石井礼美さんは、愛知県出身の24歳。滅茶苦茶可愛い[黒ハート]
他にも愛媛県外から主要キャストを集め、クオリティは盤石。

【補足】
甲子園春・夏通算11回の最多優勝を誇る中京大中京が初優勝したのが、
実はこの大会であり、ここから史上唯一の夏大会3連覇を達成している。
映画『KANO』は、2014年2月台湾で公開されている。
「私が一番ニクらしいと思ったのが中京商。とは言うものの反面では非常に親しみを
持っています。懐かしい思い出です」
後年、ある嘉義農林の選手が、中京大学関係者に語った言葉だ。
1931年決勝戦という晴れ舞台で、雌雄を決した両校は、それぞれに物語を抱え、
相手への思いを温めていたのだ。
現代も続く交流。台湾の嘉義(かぎ)農林学校は、日本が台湾を統治していた
1931年、夏の甲子園大会に出場、決勝まで勝ち進んだ。

海を渡ってやってきたチームの善戦に観客は惜しみない声援を送った。
この時の嘉義農林の活躍を描いた
台湾映画『KANO』をきっかけに、決勝戦で戦った愛知県代表の中京商業(現・中京大学)
と約90年の年月を超えた交流が始まっている。
「KANO」が絶体好きになる、笑って、泣いて元気になる名作。
是非とも、坊ちゃん劇場で味わって欲しい。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。